きたのわが大事にしたい話し合いのベースに「対話的に話すこと、聞くこと」があります。
また「みんなでつくる」という視点も言葉にすることで、より大切なものとして意識できるようになってきたと感じています。
今回は6月20日きたのわ主催「話す・聴く対話講座」の報告です。
・
・
始めのチェックインでは発達特性のある仲間が見える化の大切さを伝えてくれていたので、今の自分を表現する呼び水になってくれそうな幾つかのカードを用意しました。
まずはみんなでカードを眺めて、一旦席に着きます。
そして準備ができた方から改めてカードを持ってきて、このカードを選んだ自分について話します。
お互いに緊張している時間なので、少し体が動かせたり、カードに促されそんなに何を話そうと考えなくても良いことで、少し楽に始められたように思います。
・
・
チェックインのあとは中島公園に向かいました。風の通る日陰に座り、一呼吸ついてから3人グループで対話的に話す・聞く時間です。
いつもは聞き手のフィードバックを一人ひとり行っていたのですが、言葉を返さなければというプレッシャーと緊張で話を聞くことが難しくなると伝えてくれた方がいたので、今回は聞き手2人で大切に響いてきたことやどんなお話を聞いたのかを返します。
聴き手になると、その時の自分の体調や感情によって入ってくるもの、受け取れるものが随分違うなと感じることがあります。今、自分がどんな居心地なのかにも耳を済まし、その自分も大事にできる環境でなければ、相手の話を聞くことは難しくなりそうです。
振り返りからも、たくさんの緑や外気や音、公園を楽しむ人の気配が気になって集中が難しかったという声も聞かれました。
それでもやはり外で話す聞くの体験は、沈黙の息苦しさを和らげてくれたり、建物の中より少し正直な気持ちを話しやすいように感じます。鳥や虫や植物など他の命の存在が話し手と聞き手以外の参加者として、間を担ってくれているのかもしれません。
・
・
最後の時間は話題提供として「私たちは社会文脈的な存在であること」「誰もが自分と社会をつなぐ体験を持つ主体的な存在であること」を息子の不登校をテーマに話をしました。
小学生の息子のつぶやきの背景には「この社会の常識さん」がいて、それは「私たちが思うより前にやってくる」のだと。だからこそ、そのつぶやきが何に繋がっているのかを一緒に見つけ出すためにも、語り手と聞き手の両方が必要で、そうでないと彼らは安心して生きることが出来ず困ってしまう、という話をしました。
その話を聞き、それぞれが想起したこと、言葉にしたくなったことをサークルで話します。
「自分にとって社会の常識さんは非常識さん」と語ってくれた方や、息子のつぶやきを母である私がどう聞いたのかに心を向けてくださった方もいました。
・
・
私の不思議体験としては、このたった7分ほどの話題提供の後は目の前がとても明るくなったように感じられたことです。目がしっかり開き、相手の輪郭がはっきりし、物事がよく見えるのです。
話すということは、情報を伝達したり、相手とのコミュニケーションや合意形成の手段だけではない、何かもっと根源的なものがあるように思います。
サークルの最後にご自分の話をしてくださった方は、自分の中で時折起きるある困難な感情について今日話せたことで、「自分自身に対して認めてあげられる」というプロセスを体験をすることができた、と聞かせてくれました。
どうも「社会の常識さん」は私たちに自分が悪い人間だと思い込ませるところがあるようです。
私も自分の出来ないことやわからないことを聞いてもらい、それについて助けてもらう心地よさにやっと出会えているので、とても嬉しい言葉でした。
・
ある方は講座の最後に「ふたりの花」という自作の曲をギターの弾き語りで聞かせてくれました。講座の中で聞こえてきた「理解してもらわなくていい、傍にいてくれる存在が欲しかったのかもしれない」という気持ちを掬ってくれるようなじかんでした。
・
・
後日談として講座後、日を改めて参加者の方と一緒に講座振り返りの機会を持たせてもらいました。きたのわとしても初めての試みです。
それぞれどんな風にあの場にいたのかをプログラム毎に聞き合うことが出来ましたし、私もプログラムの意図をお話しました。
よりお互いの納得や学びが深まったので、「みんなでつくる話し合い」に一歩近づけたかなと思います。ありがとうございました。