5月26日10名の方とファシリテーション講座〜対話編をご一緒しました。
普段お仕事で依頼される講座は対話と議論を3時間の中でお伝えすることが多い中、今回はきたのわ主催ということで対話だけを4時間行うことができました。
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対話とはどのような営みなのでしょう。私は「対話は人間が考え出したものではないのではないか?」とふと思う時があります。それは他者との間で生まれるものについては自分の手を離れているからという部分が大きいかもしれません。相手をコントロールせず、自分の変化も恐れず、相手との間に生まれるもの。それが今のような人間至上主義の時代にただ一つ救いになるようにも思えます。
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なので、講座で感じたことも得たこともどこまでも自由でありながら、それでも善い(良い)ということがわかるのは何故なのか?
ある方は講座後「対話とは相手を愛おしく思えるもの」と教えてくれました。普段は「違い」や「わからなさ」から心の中に見えないけれど強固な隔たりが生まれています。なぜ対話することで「違い」や「わからなさ」が隔たりから愛情に変わるのか?これは論じるよりも「わからないけれどそうなる」という体験をすることなのだろうと感じています。
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言葉にできないこと、言葉にならないものがあることも、私たちを他者とつないでくれる大切なものだと思えるのですが、いかがでしょうか。